王星の雑記帳

その日起ったこと、思ったことなどを気まぐれに綴る雑記。更新は不定期。

なすべきこと、やりたいこと

『当為(ゾルレン)と意欲があるが、能力がない。
 当為と能力があるが、意欲がない。
 意欲と能力があるが、当為がない。
 即ち、
 なすべきことを欲しはするが、それをなし得ない。
 なすべきことをなし得るが、それを欲しない。
 欲し且つなし得るが、何をなすべきかを知らない。』

ゲーテ格言集より。

*当為=そうすべきである、また、そうあるべきであると要求されていること(もの)。義務。

人は使命を持って生まれてくるというけれど、その使命が何なのかを知らない。
本当は、使命なんてないのかもしれない。それも知れない。

何をなすべきか、私は知らない。
何をなせるか、私にはわからない。
何がしたいのか、それすらもわからない。

酒と抑鬱と不自由な自由

*注記
自分の中のもやもやを吐き出すかのようにつらつらと。
文章を書いている(書ける)ときは冷静です。
とっちらかっているときは、頭の中がごちゃごちゃしすぎて、文章になどなりません。
そういうことで、今はだいぶ落ち着いております。
随筆です。全体公開してはいるけれどあまり読み手のことは考えていない感じの文章です。
一応言葉遣いとか気をつけてますけど、人の鬱気分に共感しがちな方は読まない方がいいかも?
けどこれでも、抱えるもやもやの10%くらいなんだぜ?w
抱える闇は己が思うより浅く、他者が思うより深く。
なんて、ちょっと詩的にw
1番最後にこの注記を書いているのだけれど、長くなってしまったな…そして本文も長い。

* * * * * * *

気が塞ぐ。酒を呑む。頭がおかしくなる。胃の調子が悪くなる。
酒を控える。
気が塞ぐ。酒を呑む。頭がおかしくなる。胃の調子が悪くなる。

気が塞ぐから呑むのか、呑むから気が塞ぐのかわからなくなる。
負のループ。
アルコール依存にまっしぐら。
まだ片足突っ込んでるくらいだけど、油断はならない。
今はまだ酒の味がわかる。飲み続けていると飽きてくる。
飽きっぽい性格が幸いしているのかもしれない。

* *

抑鬱がやってくると、自制がきかなくなる。
普段押さえ込んでいるものが反発するように、欲望がしゃしゃり出てくる。
何もしたくないくせに、何もしないでいると時間が過ぎて行くのが遅すぎて、発狂したくなる。
酒を呑んでただぼんやりとネットをしている。
高揚する瞬間もあるが、すぐに静まる。無表情にモニターを眺める。
早く眠りたいのに、だらだらと酒を呑みモニターを眺め気がつけば深夜。
酔いによる眠りは気絶のようだなものだと聞いた。だらだらと寝たところで疲れは一切とれない。むしろ鉛のように身体も頭も重い。
自己嫌悪に陥る。自分自身に絶望する。どうでもよくなる。
そしてまたぼんやりと酒を呑みモニターを眺め眠りが訪れるのを待つ。
いっそ発狂したくなる。

* *

自由になったはずだ。
数ヶ月前の自分よりは、はるかに自由だ。
選択肢もたくさんある。
けどれ私は縛られている。自由に縛られている。ありすぎる選択肢に縛られている。
不自由さの原因は自分だ。私を縛っているのはいつでも私だ。
私という人間の中にある、一般常識や道徳や親の教え大人の価値観、今まで生きてきた中で植え付けられた種が育ち、しがらみとなって私を縛っているのだ。
このしがらみを断ち切ることができなければ、私は自由を手にすることはできないのだろう。
・・・けれど、不自由の中にいるのは安全なのかもしれない。だからこそ、しがらみを断ち切ることができないのかもしれない。
自由を手にすることは、確たる己になるということなのだろう。
私にその覚悟はあるか・・・?

* * 追記 * *

生きている
ただ生きているというだけでは満足できない自分がいる
何かを求めている
だが何を求めているのか未だわからない

子どもの頃からずっと
心に穴が空いている

* *

我が生は虚ろなるかな

物語を持っているか?

ラクガキ帳を眺めてて思った。
昔は物語を持っていたな、と。
今の僕は、物語を持っているか?

物語。
言い換えれば、想像力かなぁ。
数時間、空想に浸るとか当たり前だったんだけれど。
読んだ本、漫画、テレビ、映画、音楽…色んなものから刺激を受けて、世界を作ってた。
今もたまには空想世界で遊ぶけど、以前に比べればかなり減ってしまった。

空想は、芸術関連にも繋がっていた。
下手ながらも、絵を描き、小説を書き、詩を作った。楽しいからやっていた。
ネットで公開したり、投稿したりしていた当初も、評価はあまり気にしていなかったのだけれど…。
いつの間にか、自分の作り出したものに魅力を感じなくなってしまった。
どれも人真似のようで。ただ上手く書こうとしているだけで、何を表現したいのかわからない。

そういえば最近、あまり自分と対話していない。
メンタル面が安定しているのだと言えなくもないけれど。
メンタルが不安定な時の方が、物語を持っていたのか。
自分を亡くしていくことが、メンタルを安定させることなのか。
そう、社会に適応するためには自分を殺せばいい、と思い続けてきたな。
ならば今、僕は死んでいるのか。昔の僕が死んだのか。
ずっと、自分は活きてはいないと思っていたけれど、今まで僕は活きていたのか。
昔の自分を亡くして、今まで自分は活きていたんだと感じるなんて。何だか面白い。皮肉な可笑しさ。

僕の目論見が成功して、今の自分があるというならば、喜ぶべきか。
しかし僕は寂しい。
死んだ僕の残骸が、澱となっているのか。

物語を亡くしてしまうのは、哀しい。






 『あの頃の僕らが 嘲笑って軽蔑した 空っぽの大人に 気づけばなっていたよ』(砂の果実 歌詞より)

自己分析の内容ですので、興味ない方はスルーでヾ(。・Д・。)

今日あれこれ思考を巡らせていて思ったこと。
「自分は我が強い」

子どもの頃から大人しいといわれているし、自分でも自己主張する方ではないと思います。
親父だけが「お前は頑固だ」という風に言ってたんだけど、以前は「そんなことない」とムカっとしてたんですよね。
近年は自分の中の頑固さにも気づいていたのだけれど、受け入れていなかったというか。
本日改めて、我の強い自分というものを受け入れました。おめでとうw

特別に何かがあったわけでもないのですけども。
カウンセリングの基礎講座を受けたり、仕事を始めたり、色んな人と関わってきての結果ですかね。

本来は我が強いのだけれど、小心者でもあり、それを抑え込んできたわけです。
抑えて周りに合わせて、そりゃストレスも溜まるつーの。生きづらくもなるっつーの。ってわけで。
不登校時代が長かったんだけど、その時周りが一所懸命『理由探し』をしていたから、自分も『何か理由を見つけなければ』とつい最近まで思っていたんですな。理由なんてなかったんや。行きたくないから行かなかったんですねw あえて理由をあげるなら『学校嫌ぁ~い』だなw
嫌いだから行かない。うん、シンプル。

たぶん自分はひねくれてるけど、シンプルな人間なんだと思う。
嫌なことはやりたくないし、意に添わないことは受け入れない。
誰でもそうなんでしょうけどね。人間社会に生きていると、嫌なこともやらなきゃいけないし、意に添わないことも受け入れなきゃいけないってなるんですよねぇ。面倒くさいね。
まぁ、受け入れているフリをしているだけで、実際は受け入れていないんだけど。


流れに身を任せるような生き方してきたけど、最終的には自分で決定してきていると思う。不登校も長引いたってことは、自分の主張を通したともいえる。仕事も自分でやろうと思って動いた結果で今のところに雇ってもらえたわけだし。
なんだかんだで自分の決定に従っているなと。だから人のせいにすんじゃねぇぞ、と自分に言いたいんだけどw

去年の後半から思っているのは、「案外、今まで自分の為に生きているんじゃないか」ということ。だからかえって生きづらいのかもね。
自分のことだけ考えて、我を通そうとするけど思うようにならない。もう嫌だ。自分の思い通りにならないような世界はめんどくせぇ。そんな感じ、かも。

あくまで仮定。分析は続く。たぶん生きている限り。
一昨年、『30歳までは何が何でも生きて活動する』ということを決めたんですね。それに従ってヤケクソで動いてきているんですけど。残り3ヶ月です。
肉体的か、精神的か、終わらせる方法は決めてません。30の自分に任せる。今の自分はそこに向けて色々試しているわけですな。その結果、終わらせないと決めればそれもよし。わしゃ知らんw
そして、死んだらごめ~んね★自分なりに頑張った結果です。誰が認めなくても、自分は認めてやろうと思う。ヤケクソで頑張っているのも、それがあるからなんですよね。最期に認めてやりたい。笑ってやりたい。「くだらねぇ人生だったな」と嗤うのでもいい。
ほんと自分本位。

それから、ネットから撤退というのも考えの1つにあります。その時は黙って去るかもしれないので、今日のワタクシが代わりに言っておきます。
今までお付き合い有り難うございました。

うん、あくまで仮w
明日の自分はまた違う考えかもしれないし。そんなもん。
長くなったし、飽きてきたので終わりますw

親と子

メモ的な記事ですが。


親という役割を背負わされた人間(父)
子どもという役割を背負わされた人間(私)

先程、音楽聴いてソリティアしながら色々考えている時に出てきた言葉(思考)。

母の場合は、親という役割を自ら背負っている感じがする。
背負わなきゃいけないから背負ってるのかな?

父は、子どものことを考えているようで、自分が苦しみから逃れたがっているようにしか見えない。
逃げたい気持ちはわかるから、そのことを批判しているわけではないです。調子悪いときはイラァ!(#`-_ゝ-)なりますけどw

親も人間だ。色々あるよ。と、冷めた自分がいるのは、いいのか悪いのか。
父親、母親、という役割を背負った人達。って感覚だなぁ。




あとこの間考えたのは、『普通』というものに疑問を抱くのであれば、親に対して『普通の親』を求めるというのもまた身勝手ではないか?というもの。
『普通の子ども』を求められている自分が、『普通の親』を求めるというのは、『普通』というものに縛られているが故?それとも、親に求めてはいけない、という抑制があるからか?

金銭面で頼りっぱなしだから、メンタル面などで親に頼ることはないです。
自分で稼ぐようになったとしても、たぶん頼らない気がする。だってその時には、精神的にも親離れしてると思うから。


『親』を外ではなく、自分の中に求めている(作ろうとしている)今現在?(心理学用語じゃなくて感覚的に。)
今現在ってわけでもないか。10代の頃からそうだったような。今もできていないということは、親になるって大変なのね。


また長文になってきた。最近長文になりがちです。
頭の中ではこんなものでは足りないくらいの思考が渦巻いているんですけどね。
不快な気持ちにならなければいいけど、マイナス思考がつきまとってくるのが問題。できるだけ冷静になるよう努めているけれど。
日々、自分との戦い・・・いや、議論?意見(認識)交換会?なんにせよお疲れさまでーす。

最後まで読んで下さった方も、お疲れ様でーす。有り難うございます。

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