王星の雑記帳

その日起ったこと、思ったことなどを気まぐれに綴る雑記。更新は不定期。

ねばねばにサヨナラしたい

納豆は好きでも嫌いでもないです。この間、キムチと納豆を豚汁の残りにぶちこんだら美味しかったです。
長芋は生だとすったものより切ったものが好きです。焼いても美味いよね。煮るとほっくりした感じに。
オクラもいいね。自分で育てる時は、気をつけてないとすぐ大きくなって固くなる。そして何気に枝が太くて、根が張るから後処理大変。

うん、その「ねばねば」ではない。そちらとはサヨナラしたくない。


「ねばならない」思考から脱却したいという記事でございます。いつもの如くにメンタル記事でございます。
前置きが長いってか。いつものことでございます。前置き書いている間に何を書こうとしていたか忘れることも多々。

はい、本編本編。

物事を考えるときに、「ねばならない」と思っていることが多いです。
せねば!やらねば!!こうあらねば!!!
ねばねば思考の後にはたいてい、「それができなきゃ駄目なヤツ!」がセットでついてきます。

「~したい」「こうありたい」って思うことがとても少ない。
本読んだり勉強したりもするけれど、自発的にしているはずなのにいつの間にか「本読まなきゃ」「勉強しなきゃ」って思ってます。
最近強く「これがしたい!」って思ったことはなにかと言えば、「お酒が飲みたい!」でした。
依存症まっしぐら★
「なんか食べたい!」ってのもやってきます。これも空腹で求めてるわけじゃなく過食だから、依存の一種だなぁ。
したいと思えることが、依存対象になっちゃってますねぇ。今書いてて気づいた。
鬱状態になってくると「死にたい!」ってのも強くでてきます。これもよろしくない「したいこと」ですね。無性に腕を突き刺したくなるけれど、これは衝動を抑える為の代替行動になると思う。
「PC(ネット)がしたい!」ってのもあるけれど、これも暇つぶしというか、『何もできない・何もしない状態が辛いから』という前提であることが多い。または「ねばならない」からの逃避行動。現在逃避中!

さて、私の本当にしたいこととは何だ?

したいと思って始めたことも、いつの間にやらやらなきゃいけないことに変わってしまっている。
ふっしぎ~★
飽きっぽいのですかね?無意識のうちに変換しているのか。
ねばねば思考とサヨナラするには、自分自身に問いかけることが必要なのでしょうか。
本当にやらなきゃいけないことなの?そうあらねばならないの?そうありたいの?それは本当に必要なの?ねぇねぇ今どんな気持ち?
・・・・・・・・・最後のは煽りだな。却下。
自分に対しても、思いやりを持った問いかけを。


*長文になったからなるべく重たくない文章をと思い、軽口的なものも挟んだけれど、人によってはイラッとするかも。
ユーモアって難しい。でもユーモアって大事。ユーモアを失わなかったからまだ今も生きていると本気で思う。ユーモアって人の名前っぽい。そろそろユーモアがゲシュタルト崩壊してきた。(注:しらふで書いてます)
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希死念慮

(今年最初の記事がこれかーい。ってセルフツッコミ。新しい年になったからといって、新しい自分になれるわけではない。)



今月はたびたび強い希死念慮に襲われています。
死にたいと思うのがツライのではなく、それを押さえ込むのがツライ。
拳銃持ってたら衝動的に頭ぶち抜いてるよな、って毎回思う。
死ぬことばかり考えて、生きることを考えられない。自殺衝動を抑えるのにエネルギーを費やして、生きるための活動にエネルギーをまわせない。
なんてぇこったい。
それでもやるべきことは遠慮なくやってくるから、なんとか最低限はこなしてます。えらいねー(棒読み)。


せっかくだから(?)希死念慮について調べてみました。
希死念慮とは【こころの相談なら Reme(リミー)】
この記事を読む限りだと、自分は自殺企図にまで発展している。
けど自分の場合は、具体的に死ぬ方法を調べたり考えたりすることを、衝動を抑え込むための抑止力としています。
(どのくらい苦しむか、死後の肉体はどのような状態になるか(失禁や脱糞はあるか等)、葬儀の費用はどのくらいか、死ぬ前に銀行当の解約をせねばならない等の雑事・身辺整理、周りに与える影響。)
スピリチュアルなところまで調べると、ほんと自死って救われないって思える。

こんな考察ができるうちはまだ大丈夫だと思っています。キツイけど。
なんもかんも全部どうでもいい、って状態になったときがちょっと危ない。


いつ死ぬのかなんてわからない。ひょっとしたら今日死ぬかも知れない。
そうは思っても死を望み、死に憧れる。
死にたいのではなくて、楽な状態になりたいだけだとも思う。
生きていて楽な状態になれそうもないので絶望している。楽になれる状態を模索することに疲れてまた死を思う。
そんな繰り返し。
死を思うことで生きている。もしかしたら誰よりも「生きたい」のかもしれない。「生きる」ということへの理想(基準)が高いのかも知れない。
思うように生きられない。そんな自分に絶望し、そんな自分を憐れんで、そんな自分を苦しみから解放してやりたいのかも知れない。


死はとても身近で、とても遠い。

人との関わり方は人それぞれ(自己分析)

ぼんやりと、対人関係について考えた。
1.私は人間嫌いではなく、人間が苦手らしい
2.深いつき合いをしていないし、今後したいとも思っていない。程よい距離感が望ましい
3.人と接することは、自分を高める(深める)ために必要なことである

【さらに考察】
・1について
 人間が好きではない。けれど面白い生きものだとは思う。どちらかといえば観察対象。
 このカテゴリのなかには当然自分も含まれる。だから私は私が好きではない。一番身近な観察対象。

・2について
 「仲良くなりたい」という気持ちが薄い。あまり関心を抱けない
 ↓
 積極的に質問をすることがないため、表面上の会話が多くなる。会話がなかなか続かない(メールも用事がないとしない)
 ↓
 会う機会が多ければそれなりに話すが、突っ込んだ話はこちらからはしない。ぐいぐい来られるとその分引くため、こちらからの深い情報も渡さない
 ↓
 親密な関係になりえない

・3について
 私にとって人と関わることは、相手と仲良くなるためではなく、自分を高める(深める)という意味合いが強いようだ。
 自分だけの思考をし続けていると、視野が狭まってくる。他者との対話によって新たな気づきをえることができ、そこから更に思考を発展することができる。
 故に、私にとって人と関わることは、疲れるし、辛い時もあるが、無価値なことではない。

【補足】
 観察対象といえど、そこに「情」がないわけではない。冷徹な観察者にはなりえない。
 他者と相対しての、己の感情の揺らぎというものも観察対象のうち。


【発展または余談】
さて、私は今カウンセリングの勉強もしているのだが、この性質はカウンセラーに向いているのか向いていないのか…。
カウンセリングは感情の世界、という。
客観的である、というのは利点となろう。
距離を置きたがる性質は、来談者と親密さを築き上げるには妨げとなるだろう。
自分を高めることにのみ重点をおいていては、相手に信頼されることはないだろう。

カウンセリングの勉強にしても、「誰かの役に立ちたい」よりは「己を知りたい・調節したい」という思いから始まっている。
自己を問い続け「自分とは何だ?本当の自分は何処にいる?」と悶えてきた私だが、案外というかそれ故にというか、己を最も重要なものだと思っているようだ。
しかし完全に自己中心的にはなれない。他者を蔑ろにすることができない。それは優しさ故か、弱さ故か。

他者との関わりの中で、私は変化してきた。
ならばこれからも、他者との関わりを持ち続けることで更に変化していくのだろう。
それが自分にとって望ましい変化なのかは知れないが。
知れないからこそ観察しがいがある。

「自分」とはなんぞや

自分自身をなくしさえせねば
どんな生活を送るもよい。
すべてを失ってもいい、
自分のあるところのものでいつもあれば。
    *
「人間の持つものの中で、自分自身に基礎をおかぬ力ほど不安定で、はかないものはない。」

【ゲーテ格言集より】



自分のことは自分がよくわかっている。というけれど、結構わかってないことも多いような気がします。

自分らしさって何?
本当の自分って?

こういう問いは、何も思春期の若者だけのものではないんじゃなかろうか。
少なくとも私は時折考えています。抑鬱状態に陥っている時も、平常時も。

人に「心の扉オープン状態」で接することはまずないです。
けれど、偽って接しているかといえばそうでもない。
見せられる範囲の階層の扉は開いてますよ、的な。
「これ以上は現在立ち入り禁止となっております」階層がちょっと多いだけ。
全てオープンにすることが良いことのような風潮もあるけれど、実際そこまでする必要もないんじゃないかと考える近年。
他人のそんなとこ見たくない、ってのもあるしねぇ。

本当の自分を誰も分かってくれない。
と思ったとき、どの程度までわかってほしいと思っているのだろう。
本当に全てなのか。ある程度まででいいのか。
わかってほしいのだけれど、実際に踏み込まれてこられると警戒したり。

自分が思う自分。他人から見た自分。
ずれを感じることもあるけれど、他人から見た自分もまた自分なんだろうなぁ、と思うようにもなりました。
演じている自分もまた自分。
自分というものは、ひとつではないのか。ひとつなんだけれど、たくさんに分裂しているのか。


裏表のない人物には、本当に裏(隠している部分)がないのか気になる。
本人が意識していないってこともあるか…。

考えながら書いていると、もっと長文になりそうなので終わります(笑)

人生は苦行だ。

なんて、ついこの間まで言ってたもんですけども。
やっぱり、『楽』がいいなぁ。

気楽に、楽しく。
何物にも縛られず、自分自身を縛ることなく、他者にもおおらか。
かろやかに。ゆるやかに。


やりたいことはないけれど、なりたい自分はあるのかな。

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